あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。

 さて,昨年末から今年初めにかけても例年の通り,表日本の自宅と裏日本(禁句?)の実家を行き来したわけですが,一昔前,夜行列車を利用していた頃に比べると所要時間は半分くらい。

 通常より早い時刻(15:00)におわるとはいえ,大晦日まで仕事をし,その後で新幹線に乗り込み,実家で紅白を観られる。戻りは1月3日の朝早く実家を出て昼には自宅で箱根駅伝を観られる。

 便利にはなったのだけど,文庫本を何冊か用意して上野駅で夜行列車を待つ人の列に連なっていたあの頃が懐かしい。とはいえ,今あれをやるのは体力的に辛いだろうな。

 ちなみに紅白も駅伝も観ることの出来る時刻であったというだけで,実際に観てはおりません。なんだか細木数子さんの顔が脳裏に焼きついた年末始でした。

車窓から

 京急線特急電車で横浜から都内に向かう途中,駅でもないところで停車。何かと思っていると駅を行き過ぎたらしい。

 最前車両に乗っていた私からは駅のホームも見えず。ちょっとやそっとの停車位置のズレではない,完全な行き過ぎ。安全のため後続の電車も停めた上でバックするという。停まるべき駅に戻り,改めて発車。何だかんだで5分以上は遅れた感じ。
 この電車,都内に入り某ターミナル駅を過ぎると,そのまま都営地下鉄線に乗り入れる。そこで流れた車内アナウンス。
「この電車内は急病人発生のため5分ほど遅れて運行しています。」
 途中から乗った人は分からないだろうけど,知ってる人は笑っちゃったね。いや,乗客が気付かない間に急病人も発生したんでしょう,きっと。そう信じたい。私が毎日命を預けている鉄道会社が,そんな稚拙な隠ぺい工作をするような体質であって欲しくは無い。いえ,稚拙じゃなければいいという話でもないのですが。
 ちなみに,面白すぎるので都営線の職員に「急病人ってどこの駅ですか?」と訊いたところやっぱり例の駅でした。これはもう,運転士が急病になって停まるべき駅を行き過ぎてしまったのだと納得することにします。

アイスクリームと盲導犬

 暑くなってきました。近所のスーパーに犬用のアイスクリームがありました。

 ビックリしましたが知人に話すと普通に「あるよ」と言われました。別に驚くことでは無いようです。ちなみにその人は犬ではなくて猫を飼っていますが,猫用のアイスクリームは無いらしい。

 しかし,犬も猫もペットショップに行けばありとあらゆる専用品が揃っていますね。無責任に途中で捨てちゃうより可愛がる方がズーッといいんだけど,残ったご飯に冷めた味噌汁かけときゃいいんじゃないの?

 で,クローン技術で盲導犬を増やす研究が進んでいるんだとか。盲導犬を必要としている人にとってはよいことなんでしょうが,人間の為の使役目的で作り出される生命っていうのもね。

 一方で溺愛される犬がいて,一方では使役の為に作られる犬がいる。無責任に捨てられる犬もいれば食用に飼われる犬もいる。
 自分の犬を着飾ってる人達は使役犬のことをどう考えているんでしょう。別の生き物なんでしょうか。
 いっそのこと、別の生き物と考えて,クローンで盲導人とかつくったらどうだろう。介護人とか。その方が便利じゃない?会話も出来るし寿命も永いし。

 「CASSHERN」みたいに。あれはクローンではないか。

介護○・盲導○と言えば

 通りの向こう側でなにやら人だかり。「介護○・盲導○育成にご協力を」といった意の幟が見える。

 介護犬・盲導犬が不足しているらしいから資金集めのキャンペーンか。確かに人ごみの間に二匹の犬の姿も見える。が,周りの人間に比べるとなんだか妙に大きいぞ。改めて幟に目をやると,「盲導犬」ならぬ「盲導馬」の文字が!
 馬だよ馬!ミニチュアホースかポニーなんだろうけど,大きいはずだよ。

 自ら手話教室に携わっていて,ボランティア関係には詳しい女性から「アメリカなんかで近頃増えているのよ。結構頭がいいし犬より寿命が長いし,都合がいいらしいのよ。」との情報。

 アメリカじゃどうか知らないけど,日本の住宅状況で馬はどう?マンション暮らしで上の部屋に馬がいたら煩いよね。子供でさえ煩くてしょうがないのに。

 でも,馬も大変だね。人間にとって都合がいいかどうか知らないけど,鞭打たれて走らされたり,人間の面倒見させられたり。

※ウサギじゃ愛玩用くらいにしかお役に立てません。あぁ,食用にもどうぞ。

整列乗車

 某駅に「整列乗車はご遠慮ください。」っていう張り紙があった。

 ホームで工事をしていて部分的に狭くなっているので,その部分限定と言う話なんですが,意表をつかれました。

ドイツの捨て子用箱

 その中は37度に保たれたれ、中のベッドに赤ちゃんが寝かされると、近くのボランティア宅に設置したアラームが鳴る。

 昨年1年間でここに置き去りにされた赤ちゃんは6人。全員が希望する夫婦によって引き取られた。 同様のものは,昨年の秋,ベルリン郊外の病院にもできたという。これらの対策への根底には「親が育てない子どもは社会で受け止めよう」という寛容な考えがあるようだ。