のはずだったのですが,忘れていました大事なイベント!
今日は妻のご両親に年始の挨拶に伺う日でした。
妻は私の母(父は既に物故)と仲良くしてくれていますが,私は妻のご両親とお会いすると(決して不仲ではないと思いますが)未だに緊張してしまいます。お二人とも好い方で,いつも優しくしていただくのですが,やはりぎこちない私。
あぁ,妻は既に着いている頃。私は仕事が終わり次第駆けつけることになっています。決して決して厭じゃないんですが,ただなんとなく落ち着かないなぁ。
のはずだったのですが,忘れていました大事なイベント!
今日は妻のご両親に年始の挨拶に伺う日でした。
妻は私の母(父は既に物故)と仲良くしてくれていますが,私は妻のご両親とお会いすると(決して不仲ではないと思いますが)未だに緊張してしまいます。お二人とも好い方で,いつも優しくしていただくのですが,やはりぎこちない私。
あぁ,妻は既に着いている頃。私は仕事が終わり次第駆けつけることになっています。決して決して厭じゃないんですが,ただなんとなく落ち着かないなぁ。
昨日,美容院に行って,ふわふわになりました。可愛い。
なのに,暫く気付きませんでした。ごめんなさい。この季節,外から室内に入ると眼鏡が曇るんです。そのせいです。
一富士,二鷹,三なすび。で,武田百合子さんの「富士日記」。文字通りの日記です。日記と名の付いた小説とかではなく,まんま日記です。
もう20年位前,先ず夫君である泰淳氏の「富士」を読み,その流れで「富士日記」を手にしたわけですが,これが面白かった。今回読み返してみても,その感想は変ることは無い。
泰淳氏から勧められていやいや書きはじめた,公にする気は無かった日記。「天衣無縫」と形容されていましたが,身の回りの出来事をそのまま気取らず書いている。小説家の身内という特殊な環境とはいえ,書かれているのはどの家にも起こりそうな出来事ばかり。それが,何故これほど面白いのでしょう。日記の態をした,計算しつくされた小説とでも言われた方が納得するくらいです。
その後に,何冊か本を出されていますが,いずれも小説ではなく日記形式のもの。天衣無縫の文章は変ることなく,読む人を包み込みます。
今年もよろしくお願いいたします。
さて,昨年末から今年初めにかけても例年の通り,表日本の自宅と裏日本(禁句?)の実家を行き来したわけですが,一昔前,夜行列車を利用していた頃に比べると所要時間は半分くらい。
通常より早い時刻(15:00)におわるとはいえ,大晦日まで仕事をし,その後で新幹線に乗り込み,実家で紅白を観られる。戻りは1月3日の朝早く実家を出て昼には自宅で箱根駅伝を観られる。
便利にはなったのだけど,文庫本を何冊か用意して上野駅で夜行列車を待つ人の列に連なっていたあの頃が懐かしい。とはいえ,今あれをやるのは体力的に辛いだろうな。
ちなみに紅白も駅伝も観ることの出来る時刻であったというだけで,実際に観てはおりません。なんだか細木数子さんの顔が脳裏に焼きついた年末始でした。
2004/12/22。一年の〆は読売ホールの「リビング名人会 立川談志」。
落語は好きですが,日常的に寄席に通ったりするわけではなく,これ以外には年に一度くらい誰かの会を聴きに行くか行かないか程度です。
さて,談志さんの「芝浜」はここ五年くらい連続で聞いています。初めは中央会館でした。談志さんの到着が遅れたのか,話が延びたのかで,終わり時刻がおしてしまったのを会場側にせかされたのが気にいらなかったようで,「芝浜」の後で随分ときつい事を言っていたような記憶があります。で,そのせいかどうか,翌年から読売ホールに移ったような……
今回の構成は,着物が届いていないとかで先ずは正真の私服で登場,その後,二昔前の芸人さんの様なキラキラの洋服に着替え。雑談・ジョークから入り,着物に着替えて一席。仲入りを挟んで「芝浜」。
年によってはその後に挨拶めいたことを言うこともあるのですが,今回は拍手の中,自ら舞台袖の弟子に合図を送り幕を下ろさせてそのまま終了。ロビーで待っていれば出てくることもあるようなのですが,まあ私もそこまではせずに人波におされて会場を後にしました。今回の「芝浜」ご本人はどうだったのか。
芝浜,芝浜と繰り返していますが,別にプログラムとして事前に決まっているわけではないのです。いつだったか談志さん本人も「第九じゃあるまいし」とおっしゃっていたように,年末には「芝浜」と客はそれを期待し,今までのところ談志さんもそれに応えているわけです。
正直な話,落語の技術(演技力とか構成力とか)では,現役の方々のなかにも談志さんより上の人がいると私は思っています。それでも聴きに行くのは多分,その落語に対する姿勢なのかな。
小さんさんや志ん朝さんやの会であれば楽しいひと時を過ごしに行くわけですが,談志さんの場合はそんなわけには行きません。厳しいですから。客であろうと気に入らなければ文句を言います。しかも,今時の若手芸人さんみたいにそういうキャラを演じているわけではなく,本気を感じさせます。でも,そんな瑣末なことよりも,その基にあるもの,ともすると聞き手側にもいたたまれなさを覚えさせるほどの自身の芸に対する真摯な態度が緊張感を生み出すんでしょうね。
なにも忙しい師走にお金を払って緊張しに行くこともないのですが「男の生き様を見に行く」とでも言うのですかね。まぁ「そんなもんは芸じゃねぇ」って話ですが。
※談志さんの演技力がどーのとか言ってますが,最後のおかみさんの告白部分では涙を堪え切れません。歳のせいでしょうか。とはいっても客層からすると私より高齢の方はいくらでもおいでになるようですが,泣いてる方はあまり見かけません。
発売当初から憧れ続け,今年ヤフオクで落としたもののOS&FDDが無く使えず。
その後HDDの故障を懸念しつつも,またもやヤフオクでFDDを落とし,何とかDOS&Win95が動く状態になったリブでしたが,文書入力に限定すればモバギの方が優れもの。と言うわけで処分です。
当然,ヤフオクも考えたのですが,状態が微妙なためプロに任せてみようと,パソコンショップ「S」のサイトで確認すると状態次第では14,000円の値が付くらしい。ヤフオクでも大きく上回る値が付くことは考え辛いので,取り敢えず持ち込んでみる。と,なんと満額14,000円で買い取り可能とのこと。お願いします! 一緒に持ち込んだFDDも僅かながら値が付き一緒に売却。めでたしめでたし。と思いきや,トラブル勃発。
リブとセットで使っていた外付けCD-ROMドライヴがあったので,これも一緒に持ち込んだのですが,こちらは買い取り不可との事で,まぁ,純正でも無く,今時パラレル接続の2倍速じゃしょうがないと,納得しました。で「こちら(S)で処分しますか,お持ち帰りになりますか?」と尋ねられ,パラレル接続ならではの使い道もあろうかと持ち帰りを希望。で,買取手続きが終わり,買取代金はポイントにすると割り増しになるとの事でそうしてもらい,帰途。「アッ,CD-ROMドライヴ忘れた」。私も,店員さんもすっかり忘れていました。まぁ,すぐに処分されることも無かろうと,後日出直すことに。
コロッと忘れていたところ,Sから携帯電話に連絡があり,更に何週間か経って出向きました。正確に言うとその前に一度行っては見たものの買取のコーナーが混んでいて待ちきれずに帰ってきたのですが。
で,やっと再訪の買取コーナー。用件を伝えると暫くしてエアーキャップに包まれたCD-ROMドライブを渡された。ンッ! あれ? 何か足りない。そーだ,パラレルケーブルがあったはず。それを聞いた店員,奥に引っ込んで暫く経って,実際に買取りを受け付けた人に確認したところ,ケーブルだけは私が持ち帰ったと言う。えー!? 記憶に無いな。と,暫し悩んでいると,「ACアダプタはあるんですよね?」と言う。あー!そうだ,大事なのはそっちだ。ACアダプタも無いじゃないか。さて,話はいよいよ泥濘に。
整理。
1.そもそもACアダプタはあったのか?
Sの言い分
問題のCD-ROMドライヴは動作に問題が無ければ上限100円の値が付く。それが,買取不可と言うことはACアダプタが無くて動作確認が出来なかったからではないか?(これはカウンターでモニタを見せてもらい,確かに私が持ち込んだ機種もリスト上に記載され上限100円となっていた。ただし,買取不可の原因が記録に残っているわけではない。)
私の言い分
問題のCD-ROMドライヴは直前まで同じ場所でリブとセットで使っていたもので,FDD,ポトリと纏めて袋に入れて持ってきた。仮にCD-ROMドライヴ買取不可の理由がACアダプタ欠品であると聞けば,すぐにでも戻って持ってこれたが,その説明は無かった。単に古い機種のためと私は思った。ACアダプタ欠品の為動作確認が出来ないということであれば,そう伝えるはずだと店側は言うが,担当店員もその説明をした記憶は無い。
2.パラレルケーブルは返されたのか?
Sの言い分
ケーブルに関しては買取手続き終了後に渡した覚えがある。
私の言い分
ケーブルを渡された覚えは無い。リブ本体他とセットで袋に入れて,そのまま渡し,カウンター内で内容を確認してもらい,そのまま場を離れた。何十分か経過後に携帯電話に査定終了の連絡がありカウンターに行き,CD-ROMドライブの買取不可を含め,口頭による結果金額提示・了承。CD-ROMドライブの処理に関する口頭による確認。その後書類の準備。書類の引渡し。帰途。ケーブルだけを渡されるタイミングは無かった気がする。(重いACアダプタに関してはましておや。)
3.ACアダプタはどこへ
Sの言い分
店内の関連場所をすべて探したが何処にも無い。やはり受け取っていないと思われる。
私の言い分
使っていた場所や当日の鞄の中等,あちこち探したが何処にも無い。やはり持ち込んだままと思われる。
結局,水掛け論です。私も自分の記憶に絶対間違いないと主張する気はありません。ただ,可能性としてセットで使っていたものをACアダプタだけ置いていく可能性は低いし,実際に残ってもいない。店側でも買取不可の理由がACアダプタ欠品という記録,記憶も無い。一連の流れの中で,CD-ROMドライヴ本体と別に,パラレルケーブル(またはACアダプタも含めて)だけを渡されるタイミングは無いと思われる。
その後2・3回Sへ出向きましたが話は硬直,私も何度と無くACアダプタとパラレルケーブルを探しましたが,やはり見つからず。
年も押し詰まり,電話にて確認すると,「やはりACアダプタ・パラレルケーブルともに店には見当たらないが,確認手続きに落ち度があったこともあり,買取上限の300円で買い取ることでご納得いただけないか。」とのご回答。
おや?300円?100円じゃなかったっけ??と訝りつつも,これ以上年越しでもめるのもいやなので手打ちとなりました。めでたし!
※Sさん。お忙しい時期にお時間とらせました。
微妙な知り合いが参加している「BAO (BLUE AERONAUTS ORCHESTRA)」の初コンサート。
同行のパートナーは,ジャズに特別の興味があるわけではないが生の舞台が好きなので,開演前から隣で興奮気味。私自身は遥か昔,中学時代にブラスバンドのクラリネットを最後に楽器にはほとんど触れていない。とはいえ遠い舞台の緊張が蘇る。
開演予定時刻を10分以上過ぎて,初めから幕が上がったままの照明のあたっていない舞台袖からメンバーがばらばらと登場。パーカッション担当のMCで演奏開始。何曲か演奏の後,「Jr.(女子大生+BAO のメンバー二人)」に交代。その後休憩を挟み高校生バンドの演奏が始まる。がしかし,予想を裏切り全員男子!MC曰く「スイングボーイズ」。確かに何処にも「女子」高生とは書いてなかったけど……
まぁ,こちらも演奏はハイレベルで(メインでないとはいえ入場料をとるコンサートの一部なんだから当然)ではあるが,こいつらまで一人一人メンバー紹介され,妙に場馴れしていたり受けを狙う奴がいるのがなんだか腹立たしい,というか気恥ずかしい。
その後メインの BAO がお色直しをして再び登場。
演奏に関しては言うことは無い。というか,批評を書けるほどの耳はない。席位置の関係か肝心の知り合いのソロがいまいち音が出ていなかったようだけど。
しかし,会場全体が好意的な雰囲気で聴いていたにもかかわらず,いまいち盛り上がりに欠けた(様に思えた)のは,やはり初コンサートゆえの緊張感からでしょうか。BAO のメンバーが緊張していたという意味ばかりでなく,観客側の緊張もまた。
初なればこそか,ほぼ全員にソロでの聴かせどころがあったわけですが,一般客にとってその実力は未知数。表情が固かったり,ステージの中央で徒に楽器を弄ってみたりと,単なる癖なのかもしれませんが,「だ・だじょうぶか!?」と見ている側も緊張感アップ!
各曲で演奏が佳境に入り聴く側も温度上昇>ソロ>緊張>温度下降。聴く側を力ませてしまう構成だったかな。やっぱ,観客の信頼感を得るには,ある程度の知名度が必要でしょうか。さもなくば,最初のフレーズでそれと知らしめるほどの圧倒的な実力を見せ付けるか……
とはいえ,演奏が進むにつれて安心感が増し,会場の温度も充分に上がったようで,最後(やや無理やりに持ち込んだ,いや,皆期待はしていたんだけど流れがね)アンコールでは Jr. も登場し正にビッグバンドでの演奏。舞台上ぎゅう詰め状態で個人が際立たず,皆な楽しげな演奏で観客ものれたのでしょう。この日初めての観客の手拍子で盛り上がってフィナーレ! よかった、よかった。
まぁ,ある程度の緊張感はライヴの醍醐味。また機会があれば聴きにいきます。
※常に,演る側聴く側真剣勝負の緊張感に満ち溢れたコンサートっていうのもありかもね!
京急線特急電車で横浜から都内に向かう途中,駅でもないところで停車。何かと思っていると駅を行き過ぎたらしい。
最前車両に乗っていた私からは駅のホームも見えず。ちょっとやそっとの停車位置のズレではない,完全な行き過ぎ。安全のため後続の電車も停めた上でバックするという。停まるべき駅に戻り,改めて発車。何だかんだで5分以上は遅れた感じ。
この電車,都内に入り某ターミナル駅を過ぎると,そのまま都営地下鉄線に乗り入れる。そこで流れた車内アナウンス。
「この電車内は急病人発生のため5分ほど遅れて運行しています。」
途中から乗った人は分からないだろうけど,知ってる人は笑っちゃったね。いや,乗客が気付かない間に急病人も発生したんでしょう,きっと。そう信じたい。私が毎日命を預けている鉄道会社が,そんな稚拙な隠ぺい工作をするような体質であって欲しくは無い。いえ,稚拙じゃなければいいという話でもないのですが。
ちなみに,面白すぎるので都営線の職員に「急病人ってどこの駅ですか?」と訊いたところやっぱり例の駅でした。これはもう,運転士が急病になって停まるべき駅を行き過ぎてしまったのだと納得することにします。
またまたMM21にて。
「やっぱり日本のホラーが一番怖い」というこの映画の惹句をどこぞのHPで見ましたが,いや,まったく。
「感染」
感染といえばダスティン・ホフマンの「アウトブレイク」を思い出しますが,あちらがサスペンス風だったのに対して,こちらはやはり「ホラー」。映像的な出来は今ひとつ物足りないようにも思いましたが,それでも怖いぞ日本のホラー。
病院内に「感染」していくものの正体とは……。いや,これは「怪談」かもしれない。
「予言」
「それ」を見てしまった人と周囲の人達の運命。その運命を変えようとする人にふりかかる出来事。
と,書くと「リング」のようですが,今度はビデオテープじゃなくて新聞です。感動して泣いたという人もいる,最後に主人公が選択した運命。しかし,それは本当に彼の選択だったのか,運命は変ったのか。
10月末,イラク。日本国民注視の中で一人の日本国民が殺されました。
「何故この時期にそこへ?」という疑問,非難は当然とも思いますが,怖いのは,一部の特別な人ではなく,私の身近な人,例えば会社の先輩上司やファストフード店で近くに座ったおばさん連中が当然のような顔で「自業自得」と言い放っていることです。
彼がどのような思いでかの地に出かけていったのかは分かりません。これまでの犠牲者,人質の方々と比べると,その理由が分かり辛く,危険性を全く考慮せず,または軽く考えて,興味本位で出かけたかのような印象を受けます。
その結果,おそらく本人が想像もしなかったような迷惑を多方面にかける事になりました。そのことは,どれほど非難されても致し方ないことだと思います。
しかし,だからといって「自業自得」とはどういうことでしょう。確かに彼は,彼自身の判断次第で今回の難を逃れることが出来たはずです。しかし,我々の判断次第でも彼を殺さずに済んだのです。
実際に手を下した人達の論理は認められませんが,表向き,彼は日本国民だから人質となりました。日本国が自衛隊を派遣したためです。その決定を下した政府を選び,またはそれ以外の政府を選ぶことの出来なかった日本国民である以上,誰一人として自衛隊派遣決定の責を遁れることは出来ません。もちろん,選挙権を放棄し,その代わりに政治に関しては一切の文句を言わないという姿勢をとっている私も例外ではありません。
「自衛隊を撤退させなければ人質を殺す」という要求に対しても「撤退はない」と言ってのけた人物を長とする日本国の政治を選び,その判断を変えることも出来なかった日本国民は,その総意で香田証生さんを見殺しにしました。
我々日本国民は,日本国や日本国民からの助けを期待する権利を失いました。