介護○・盲導○と言えば

 通りの向こう側でなにやら人だかり。「介護○・盲導○育成にご協力を」といった意の幟が見える。

 介護犬・盲導犬が不足しているらしいから資金集めのキャンペーンか。確かに人ごみの間に二匹の犬の姿も見える。が,周りの人間に比べるとなんだか妙に大きいぞ。改めて幟に目をやると,「盲導犬」ならぬ「盲導馬」の文字が!
 馬だよ馬!ミニチュアホースかポニーなんだろうけど,大きいはずだよ。

 自ら手話教室に携わっていて,ボランティア関係には詳しい女性から「アメリカなんかで近頃増えているのよ。結構頭がいいし犬より寿命が長いし,都合がいいらしいのよ。」との情報。

 アメリカじゃどうか知らないけど,日本の住宅状況で馬はどう?マンション暮らしで上の部屋に馬がいたら煩いよね。子供でさえ煩くてしょうがないのに。

 でも,馬も大変だね。人間にとって都合がいいかどうか知らないけど,鞭打たれて走らされたり,人間の面倒見させられたり。

※ウサギじゃ愛玩用くらいにしかお役に立てません。あぁ,食用にもどうぞ。

自己責任,その後

 以前イラクの人質事件に関しての「自己責任」云々の国内の風潮は非常に気持ち悪いという事を書きましたが,一方であの三人の態度や姿勢に共感しているわけではない。

 特に解放後の彼らの言動は,決して国内一般(ここが正常かどうかは別問題として)の理解を得る事の出来るものとは思えません。

 特に郡山総一郎さんはジャーナリストであるならば真実を伝えるという使命があるはず。徒に受け手側の反感を煽って色眼鏡で見られるような愚を冒すべきではないでしょう。

 「あの状況で要求を拒否できますか?」等という発言は百害あって一利なし。会見場にいた取材陣(とカメラのこちら側にいる我々をも意識してのことだろうが)が拒否できるかどうかの仮定ではなく,当人が現場で実際にどうであったかという事実こそが重要なのに。

 余計な予防線は世論の攻撃から彼を守るよりも,彼の意見が世間に届くことを阻害するばかりのように思います。