BLUE AERONAUTS ORCHESTRA

 微妙な知り合いが参加している「BAO (BLUE AERONAUTS ORCHESTRA)」の初コンサート。

 同行のパートナーは,ジャズに特別の興味があるわけではないが生の舞台が好きなので,開演前から隣で興奮気味。私自身は遥か昔,中学時代にブラスバンドのクラリネットを最後に楽器にはほとんど触れていない。とはいえ遠い舞台の緊張が蘇る。

 開演予定時刻を10分以上過ぎて,初めから幕が上がったままの照明のあたっていない舞台袖からメンバーがばらばらと登場。パーカッション担当のMCで演奏開始。何曲か演奏の後,「Jr.(女子大生+BAO のメンバー二人)」に交代。その後休憩を挟み高校生バンドの演奏が始まる。がしかし,予想を裏切り全員男子!MC曰く「スイングボーイズ」。確かに何処にも「女子」高生とは書いてなかったけど……

 まぁ,こちらも演奏はハイレベルで(メインでないとはいえ入場料をとるコンサートの一部なんだから当然)ではあるが,こいつらまで一人一人メンバー紹介され,妙に場馴れしていたり受けを狙う奴がいるのがなんだか腹立たしい,というか気恥ずかしい。
 その後メインの BAO がお色直しをして再び登場。

 演奏に関しては言うことは無い。というか,批評を書けるほどの耳はない。席位置の関係か肝心の知り合いのソロがいまいち音が出ていなかったようだけど。
 しかし,会場全体が好意的な雰囲気で聴いていたにもかかわらず,いまいち盛り上がりに欠けた(様に思えた)のは,やはり初コンサートゆえの緊張感からでしょうか。BAO のメンバーが緊張していたという意味ばかりでなく,観客側の緊張もまた。

 初なればこそか,ほぼ全員にソロでの聴かせどころがあったわけですが,一般客にとってその実力は未知数。表情が固かったり,ステージの中央で徒に楽器を弄ってみたりと,単なる癖なのかもしれませんが,「だ・だじょうぶか!?」と見ている側も緊張感アップ!
 各曲で演奏が佳境に入り聴く側も温度上昇>ソロ>緊張>温度下降。聴く側を力ませてしまう構成だったかな。やっぱ,観客の信頼感を得るには,ある程度の知名度が必要でしょうか。さもなくば,最初のフレーズでそれと知らしめるほどの圧倒的な実力を見せ付けるか……

 とはいえ,演奏が進むにつれて安心感が増し,会場の温度も充分に上がったようで,最後(やや無理やりに持ち込んだ,いや,皆期待はしていたんだけど流れがね)アンコールでは Jr. も登場し正にビッグバンドでの演奏。舞台上ぎゅう詰め状態で個人が際立たず,皆な楽しげな演奏で観客ものれたのでしょう。この日初めての観客の手拍子で盛り上がってフィナーレ! よかった、よかった。
 まぁ,ある程度の緊張感はライヴの醍醐味。また機会があれば聴きにいきます。

※常に,演る側聴く側真剣勝負の緊張感に満ち溢れたコンサートっていうのもありかもね!

車窓から

 京急線特急電車で横浜から都内に向かう途中,駅でもないところで停車。何かと思っていると駅を行き過ぎたらしい。

 最前車両に乗っていた私からは駅のホームも見えず。ちょっとやそっとの停車位置のズレではない,完全な行き過ぎ。安全のため後続の電車も停めた上でバックするという。停まるべき駅に戻り,改めて発車。何だかんだで5分以上は遅れた感じ。
 この電車,都内に入り某ターミナル駅を過ぎると,そのまま都営地下鉄線に乗り入れる。そこで流れた車内アナウンス。
「この電車内は急病人発生のため5分ほど遅れて運行しています。」
 途中から乗った人は分からないだろうけど,知ってる人は笑っちゃったね。いや,乗客が気付かない間に急病人も発生したんでしょう,きっと。そう信じたい。私が毎日命を預けている鉄道会社が,そんな稚拙な隠ぺい工作をするような体質であって欲しくは無い。いえ,稚拙じゃなければいいという話でもないのですが。
 ちなみに,面白すぎるので都営線の職員に「急病人ってどこの駅ですか?」と訊いたところやっぱり例の駅でした。これはもう,運転士が急病になって停まるべき駅を行き過ぎてしまったのだと納得することにします。

感染+予言

またまたMM21にて。
 「やっぱり日本のホラーが一番怖い」というこの映画の惹句をどこぞのHPで見ましたが,いや,まったく。

「感染」
 感染といえばダスティン・ホフマンの「アウトブレイク」を思い出しますが,あちらがサスペンス風だったのに対して,こちらはやはり「ホラー」。映像的な出来は今ひとつ物足りないようにも思いましたが,それでも怖いぞ日本のホラー。
 病院内に「感染」していくものの正体とは……。いや,これは「怪談」かもしれない。

「予言」
 「それ」を見てしまった人と周囲の人達の運命。その運命を変えようとする人にふりかかる出来事。
 と,書くと「リング」のようですが,今度はビデオテープじゃなくて新聞です。感動して泣いたという人もいる,最後に主人公が選択した運命。しかし,それは本当に彼の選択だったのか,運命は変ったのか。

見殺し

 10月末,イラク。日本国民注視の中で一人の日本国民が殺されました。

 「何故この時期にそこへ?」という疑問,非難は当然とも思いますが,怖いのは,一部の特別な人ではなく,私の身近な人,例えば会社の先輩上司やファストフード店で近くに座ったおばさん連中が当然のような顔で「自業自得」と言い放っていることです。

 彼がどのような思いでかの地に出かけていったのかは分かりません。これまでの犠牲者,人質の方々と比べると,その理由が分かり辛く,危険性を全く考慮せず,または軽く考えて,興味本位で出かけたかのような印象を受けます。
 その結果,おそらく本人が想像もしなかったような迷惑を多方面にかける事になりました。そのことは,どれほど非難されても致し方ないことだと思います。

 しかし,だからといって「自業自得」とはどういうことでしょう。確かに彼は,彼自身の判断次第で今回の難を逃れることが出来たはずです。しかし,我々の判断次第でも彼を殺さずに済んだのです。

 実際に手を下した人達の論理は認められませんが,表向き,彼は日本国民だから人質となりました。日本国が自衛隊を派遣したためです。その決定を下した政府を選び,またはそれ以外の政府を選ぶことの出来なかった日本国民である以上,誰一人として自衛隊派遣決定の責を遁れることは出来ません。もちろん,選挙権を放棄し,その代わりに政治に関しては一切の文句を言わないという姿勢をとっている私も例外ではありません。

 「自衛隊を撤退させなければ人質を殺す」という要求に対しても「撤退はない」と言ってのけた人物を長とする日本国の政治を選び,その判断を変えることも出来なかった日本国民は,その総意で香田証生さんを見殺しにしました。

 我々日本国民は,日本国や日本国民からの助けを期待する権利を失いました。